「余白の音」に耳を澄ませて。

珈琲とからだ、ときどき言葉

おもさに貞く

「あなたは、なぜ、つながれないのか」という本で知ったペットボトルを持ち上げて、その重さを流すワーク。野口晴胤先生の教室でやった力を流すというワーク。野口三千三先生のおもさに貞くという本を読んで、身体の重さを地面に、地球に預けるということ。

軽く足を開いてただ立つを通して重さを預けるとはどういうことかを考えてる。

預けるという言葉から感じるのは、信頼感。それが何より大事で、それがなければ預けているとは言えない気がする。立ってるとあまりよくわからないけど、仰向けに寝てみると、背中を預けられてない感じに驚いた。手放せない感じ。放そうとするんだけど怖くてできないという感じ。まるで、高いところから飛び降りようとしているような。高いところでぶら下がったまま手を離せないような。そんな感じを背中に感ずる。

床に身体を預けることさえできないのかと驚いた。こんなにもはっきりと手放せない感じを感ずるとは思わなかった。ビビってる。そんな感じをうけた。この感覚がどれくらい意味を持つのかわからないけど、大事な気がした。三千三先生の本は読んでいてとても面白いし、何よりも大きくうなずく部分がとても多い。

今日、站椿功をしていて、以前、ペットボトルを持ち上げてその重さを身体の中を流していくというのをやったことを思い出した。重さをどこで支えるのかみたいに理解していたように思うが、それを足裏まで、地面までと考えたことはなかった。この感覚は、三千三先生の重さを地面に預けるという感覚を感ずるうえで良い参考になると思った。地面に重さを預けるというのはどういうことなのかは、手に持ったペットボトルの重さをどうやって身体の中を流していくかということと同じ気がした。

ただ立つ。別にひざを曲げる必要はない。ただ立つ。重さを預けて。頭の先から順に重さを下へ下へ預けていく感じを観ていると、北川先生がいうような地面まで気を下げることみたいだなと思った。男の人は気が上がりやすいから、気を上げることよりも気を下げることを先に学ぶのだとか。この下に重さを預けていくことはそれに当たるのだろうか。

とにかく、ただ立って、重さを預けていく。今日の感覚では、なかなか足裏から地面に預けることができないで、足裏がしびれてしまって30分が限界だった。※このしびれるという感覚は愉気で気が通らないときと同じなのかな。