「余白の音」に耳を澄ませて。

珈琲とからだ、ときどき言葉

タイトルの由来

ここ最近、天気がはっきりしない日が続いていますね。
今日もしとしとです。雨は降ってないですが、降ってもおかしくない雲行きです。
気温の変化も激しいですから、風邪引かないようにしないとですね。


さて、今日はブログのタイトルである「余白の音」の由来をお話ししようと思います。
プロフィールにもさんざん書いたように、ボクは昔から考え事ばかりしていました。動くものや変化するものの仕組みが気になって仕方ありませんでしたから、自然現象とか宇宙とかには非常に興味を持っていました。雷だとか竜巻、入道雲や夕焼けなんてキレイでキレイでしょうがありませんでした。

なんであんなに大きな音を立てて雷は落ちるのだろう。竜巻の真ん中はどうなっているのだろう。入道雲はどのくらい大きいんだろう。夕焼けはなんであんなにきれいなんだろう…。月はなぜ地球に同じ面ばかり向けているのだろう。想像もできない太陽の大きさ、それを優に超える星々。銀河の中心はどうなっているのだろう。太陽と時計で方角がなぜわかるのだろう…。

遠い空の向こうに」という映画に感動して、本も買って何度も繰り返し見ていたのを思い出します。懐かしいものです。自分の常識を大きく超えた世界がとても好きだったんだと思います。どうしてこんなに好きだったのかと思い返してみれば、それはたぶん「あ!」となる瞬間が嬉しくて、気持ちよくて仕方なかったんだと思います。知らなかったことを知る喜び、分からなかったことが繋がる感覚が楽しくてしょうがなかったのだと思います。

それにボクらは、日常的にいろんな経験をするじゃないですか。たまに体験したことを振り返って、悩んだり、落ち込んだりして。当たり前のことですが、そうやって振り返ることで、経験したときのあの一瞬では気づけなかったことが、見えてくるんですね。「そうか、そういうことだったのか」って。

そうすると、滲んで広がったインクと同じように、経験も一本の線から広がりを持った太い豊かな線になっていく気がするんです。すると似たような経験をしたときに、最初の時よりももっと多くのことが見えるし、もっとうまく対処できるようになってるですね。そうやってインクの染みを大きく大きく広げていくと、全く違う経験をしたときでさえ、いろんなところがリンクして「あ!」っていう新しい発見が出てくるようになるんです。

こういう気づいたときの快感、高揚感、爽快感がたまらなく好きで、きっと一生そうしていくんだろうなぁと感じるのです。自分がこれまで知らず知らずのうちにやってきた癖のようなものをこうやって振り返ってみると、一生とは経験を書き連ねた本のようなものなんだなぁと思いました。では、気づきは一体何なんだろうか。

気づきというのは、この本を読み返したときに行間に広がる余白から読み取るものなんじゃないでしょうか。明文化されていないけれど、そこから感じるもの、気づくもの。ボクは本を読むときは、気づいたことを余白に書き留めるタイプですが、同じように人生という本の余白にも気づきを書きまくっていきたいなぁという思いで、「余白の音に耳を澄ませて。」というタイトルにしたのです。

余白の「色」でもいいのかもしれないのですが、余白はきっと白色ですし、何よりボクの感覚では気づいたときや繋がったときの感じは「音」に近いので、その音を大切にしましょうという思いで、余白の「音」にしました。

これからもその音に耳を傾け、気づきを綴っていけたらと思っています。