「余白の音」に耳を澄ませて。

珈琲とからだ、ときどき言葉

コンセプトから考えないと始まらないのだと、今更ながらに気づいた。

開業準備で一番の悩みは、他じゃなくて うちのお店で買うべき理由を挙げられないこと。

開業の手引書なんかに必ずと言っていいほど書いてあるけど、
それを挙げるのがとても難しい。
自分の商品の強みとか、提供する価値とか…。

自分の商品にそんなものがあるとは到底思えず、どんなに考えても1ミリも出てこない。


いくら考えても挙げられないのは、”いま自分が作れるもの”を土台に考えてるから。

それは至極当然のことで、自分が焼いたコーヒー豆を「商品」だと思ってることが原因。
これは、焼いてたらたどり着いちゃった味であり、いわば「作れちゃった」もの。

それは商品のヒントやタネにこそなれど、「商品」と言える代物ではない。
いくら頭をひねったところで、そこから強みや価値など出てくるわけがない。


まず決めなくてはいけないのは、お客さんにお届けする価値だ。

まず価値から始める。自分は一体何を提供したいのか。
そして、それはお客さんに価値として感じてもらえるものなのか。
それはうちでしか提供できないものなのか。

既存商品は、深煎りが多くフレーバーよりも口当たりやコク、重厚感を重視し、
苦味の美味しさが表現されていると言える。

それを例えば、産地の違いを明確に感じるフレーバーやその多様性を重視し、
驚くほどの甘さやキラキラとしたフルーツのような酸味の美味しさは、
既存商品にない価値と言える。

すべてを盛り込むのは無理だけど、ひとつでいいから表現したいものを決めたい。


次に、その価値を最大限 表現した「商品」と「デザイン」を作り込む。

問題となるのは、お客さんがそれを欲しているかどうか。
そして、自分の技術力でそれを表現できるかどうかだ。

当たり前だけど商品を通してその価値を感じられなくては意味がない。
この商品の作り込みが一番重要なのだと思う。鉛は金にはなれない。
いくらコンセプトが素敵でも鉛では共感を得られない。

そして、それが難しければ難しいほど、自社の技術力として有利になる。

これが「商品」であり「商品づくり」である。
自分が今作れるコーヒー豆は「商品」になってない。

「商品」と呼べるのは、提供したい価値を体現したものだけなんだ。


「何を表現したいか」が価値になり、それを具現化したモノが「商品」となる。

商品とは何かを勘違いしていた。
自分の手元にはまだ商品と呼べるものはなかった。

にも関わらず、自分が作ったモノを商品とし、
お届けできる価値とはなんだろうって考えようとするから破綻する。

ほんと今更だけど、自分の商品の価値が挙げられないわけがわかった。
そりゃ出てくるわけがない。


ただ、このまま続けていると、理想を求めすぎて
いつまで経っても開業に至らなくなりそう。

走りながら考えろとはよく言われるが、
走ってるばかりもダメだけど、考えてるだけもダメで、
そのバランスが大事ということなんだろう。

会社員のうちに、コンセプトを決め、
商品の作り込みとテスト販売の繰り返しができていたら素敵だったなぁ。