「余白の音」に耳を澄ませて。

珈琲とからだ、ときどき言葉

蒸らしの効用

水抜きと同じくらいよく聞くのが「蒸らし」という言葉です。釜の内部というのは、例えば半熱風であれば釜の背面には熱風が流れ込む穴が開いているでしょうし、前面にはスプーンやホッパー、排気につながる穴も開いているでしょうから、「密閉」には程遠い状態ではあります。

ですが、個人的には「蒸らされている」感じはあると思います(それは、排気ファンを取り外して焙煎しているからなわけですが)。例えば、鍋で玉ねぎを炒めるときに蓋をして蒸らすように、生豆を手鍋で焙煎したときに蓋をして蒸らしているときのように、ダンパを全閉にした状態であれば、ある程度蒸らされているのだろうと思うのです。

それでは、その蒸らすという行為は、一体何のために行うのでしょうか。よく見かけるのは、水分のばらつきを均すためという説明です。だけど、原理がわからないんですよね。密閉して蒸らすことで、個々の生豆の含水率が均一になるのだろうかと。一体どういう原理で何だろうかと。


ちょっと脱線しますが…
焙煎工程を①水抜き、②メイラード(Yellowing, Browning...etc)、③デベロップメントに分けているのをよく見かけます。非常に長い間「水抜き」工程が一番最初にあることに違和感を感じていました。水抜きというものを意識して焙煎をすればするほど、焙煎結果と水抜きの間の関連性も因果関係も見えなくなりました。

そんなとき、ちょうど一年くらい前でしょうか、生豆を茹でてから焙煎したことがありました。その思いつきは、大事なのは水を抜くことではなくて火を通すことではないだろうかという閃きからでした。焼く前に火が通っていたら、どんな風に焙煎してもキレイなコーヒーができるんじゃないかって思ったからです。

予想通り。メイラード感たっぷりの香ばしいコーヒーになりましたが、非常にきれいで透明感のあるしっとりとしたコーヒーに仕上がりました。この経験から、生豆の芯までしっかり火を通すことが一番大切なんだということがわかりました。同時に焙煎工程が、①火を通す、②水抜き、③水抜き+メイラード、④デベロップメントという形に変化しました。


さて、話を戻しましょう…
ダンパを閉じて対流を抑えて蒸らしを行う目的は「生豆に火を通すため」じゃないかと思っています。確かに気密性は低く、鍋で蒸らすようにはいかないと思いますが、熱風の対流で火を通すよりも確実だと思われます。コマーシャルコーヒーのようにサイズや含水率にばらつきがあるような場合には特に。このような意味で、含水率のばらつきを合わせているというよりも、全部の豆に火を通すために蒸らしをしているのだと思います。


さらに言えば、この「火の通りの良し悪し」が透明感、クリーンカップの良し悪しとして表れているのだと考えています。