「余白の音」に耳を澄ませて。

珈琲とからだ、ときどき言葉

PDCAサイクルが成長と自信を与えてくれる

ずいぶんと長い間…本当に長い間、心を蝕んできた漠然とした不安(評価されることへの恐怖、上達しない苦しさなど)、その原因にやっと気づけたような気がします。それは、成果を出したいとき、自己表現したいとき、何かを習得したいときに、(それどころか人生のどの場面においても)PDCAサイクルを回す習慣がなかったことです。

気づいたきっかけは、最近の焙煎に取り組む姿勢の変化です。特に「PDCAサイクルを回している」という意識などありませんでしたが、改めて考えてみればまさにそうしていたのだと気づいたのです。いま振り返ってみれば、この6年間 大真面目に取り組んできた試行錯誤は、目標に対する課題の確認でしかなく、ただ闇雲にやっていただけと言えるかもしれません。目標を分解し、小さい目標を設定せず、目の前にある大きな課題に対して、一体どうしたら解決できるのだろうかを考えるだけで、試行に対する結果を吟味せず、ただ当てずっぽうに手当たり次第やっていたのは、前回のブログに書いた通りです。

それが無意識とは言え、しっかり課題解決に向かえたことは喜ばしいことなのですが、こんな状態にあるのは焙煎に限ったことではありませんでした。プライベートはもちろんのこと仕事も…いや、それどころが大昔の学生時代の研究、科目に至るまで、やることすべてが、思いつきで行動していたと言えるのです。テキトーにやっているつもりなど微塵もなく。むしろ大真面目に真剣に取り組んで、こうやればできるかもしれないをひたすらに繰り返していたのです。当時は、何をやっても何度やってもできないことばかりで「こんなにも真剣に取り組んでいるのに、どうしてこんなにも上手くいかないんだろう」ととても苦しかったのを覚えています。

普通に考えれば、部活動や受験勉強など、目標に向かって努力することを通じて、目標達成の術を自然と身につけるのだと思います。ボクはどういうわけか、そういうことを身につけてはこなかったようなのです。

正直なところ、未だに、どのようなステップを踏んで目標に到達していこうかというプランを立てられていないし、それどころか、どのようなステップを設定すれば、目標にたどり着くかということもわかっていない有様なのです。ただ、PDCAサイクルを回すという習慣がないことが、暗鬱と鬱滞した不安の原因なんじゃないかと思えたことは一つの希望でもあります。

PDCAサイクルを回すことで、成長していけるし、何よりも自分に自信を持つことができるようになるのだと、思い至った経緯を残したいと思います。




ここ何年か、自分の身体が思うように動かないことがよくありました。その原因はきっと、人からの評価に怯えているからなんだろうなと見当はついていました。ただ、それに対してどうしたらいいのかわかりませんし、何が原因でそうなってしまったのかもわかりませんでした。ただ漠然と、言いようのない不安に取り囲まれて生活しているような状態なのです。このままでは、一切の行動が取れなくなって引きこもりになってしまいそうです。

いったいいつからこんな感じなのかを振り返ると、新卒ですでに発揮していました。当時は周りからも、そして自分でも完璧主義だと思っていたのでしょうがないと諦めていました。

となると学生時代からということになります。まぁ確かに、最初の挫折は大学生でしたけども。自分がそれまで積み上げてきた経験すべてが、崩れ落ちていく感じを今でも覚えています。その結果、自分の考えていることも、思っていることも言葉にできなくなりました。書き出してみようにも、一文字書いては消して、書いては消してを繰り返すばかりでした。

確かにこれが表面化するトリガーになったのかもしれませんが、ただ本質的にはもっと昔からあったように感じます。もっと小さいうちから、勉強しているはずなのに上がらない成績だったり、なかなか上達しない習い事だったり、行動範囲が広がるごとに煩わしくなっていく人間関係だったり…。このもやっとしていてはっきりしない漠然とした不安を言葉にしたら「どうしたらいいかわからない…これでいいのかわからない…一体何が正解なのかわからない」という感覚だったのかもしれません。

そう。確かに。成績を上げるために勉強していたはずだけど「こういうステップを踏んで成績をアップさせよう」みたいなことを考えたことはありませんでした。ただただ、闇雲に問題集を解いていただけでした。成績が上がっている手ごたえもないのに、どうしていいかわからないから、良いと言われる方法をやっていただけでした。本来であれば、普段の勉強や受験勉強、部活動や大会への参加などを通して「できるようになるためのプロセス」を自然と身につけられたはずですが、ボクはそうではなかったようです。

例えば、フルマラソンを完走するぞ、TOEIC830とるぞという目標に対して、適切な小さい目標の設定、課題の確認、それに対してどんなアプローチをしていくかを考えて、試行錯誤して、こうなるんだねぇってのを繰り返し、段階的に目標を達成していく。まさにPDCAなのです。プライベートの自己表現からお仕事に至るまで、絵を描けるようになることも、初めてのお仕事で成果を出すことも、それが大きかろうが小さかろうが、やるべきことに変わりはないのです。

それが身についていない状態で、大学の研究がうまくいくはずありませんし、未知の仕事でうまくいくわけがありません。どうしていいかわからないという不安を抱えたままでやるから、これでいいのかわからないという不安も抱えることになる。これが身についていない状態だから、胸を張って達成できたと思えるものが何一つないのだし、仕事に対してもちゃんとできたか不安が消えなかったし、今回問題なくできたから次回も大丈夫なんて思えなかったし、これでよかったのかどうかも確信が持てなかったし、人と会うことが怖くなってしまったし、これから自分がやろうとしていることに対する不安も…。こんなことを経て、他人から評価されることに大きな恐怖を感じているのだと思います。


「このプロセスを十分に理解しているし、今まで使い倒してきた方法だし、それで結果が出せることを知っている」そんな状態だからこそ、初めてのお仕事にだって自信を持って取り組めるし、「やれる」っていう根拠のない自信も湧いてくるんだと思います。

カウンセリングで成功体験を積み上げることが大事だと言われたけれど、それは、小さくてもいいから試行錯誤を繰り返して、成果を出していく経験を積み、そのプロセスを身につけていくことなのかなって思いました。