「余白の音」に耳を澄ませて。

珈琲とからだ、ときどき言葉

自分の文脈、他人の文脈

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ちょっとここ最近の焙煎について振り返ってみる。

焙煎を始めてもうすぐ丸7年。書籍、雑誌、ネット…国内外問わず焙煎に関する情報を摂取してきた。しかも、まるで矛盾する情報が平然と流れてくるなかで、ひたすら集めてきた感がある。何も考えずに…。

「生豆に熱を加えて化学変化させるだけ」そう思ってた。どんなコーヒー豆でも全部、地続きなんだと思ってた、全部繋がってるんだって思ってた。だから選り好みせずに、ひたすら情報摂取に励んでた。でもそうじゃなかった。焼き手が見ている世界は十人十色、千差万別なのだ。向いている方向が違えば、進み方も当然違うのだ。

身体の勉強をしていて幸運だったのは、早い段階から自分に合った方法論を見定められていたことだ。整体の世界もたくさんの流派というか考え方が存在する。皆、人間という同じものを見ながらも、全く異なる理屈によって施術し、そして結果を出している。もしコーヒーと同じように、手あたり次第に情報摂取に励んでいたら、今のようにはならなかっただろう。

ありがたいことに今は、自分も表現するならこんな味わいがいいと想えるコーヒーがある。そこに向けてこの一年ほど焼いてきた。改めて思うのは、先入観ほど当てにならないものはない。当てにならないなんて書いてしまうと、これまで仕入れてきた情報が全部間違っているというニュアンスになるが、そうじゃなく、そもそも前提が違うのだ。異なる文脈の中では、どんな情報も当てにならないのだ。正しくなんてなりようがない。情報は文脈の中でこそ正しく意味を持つ。その文脈を捨て、ただの情報をひたすら集めても惑わすタネにしかならない。それらの情報は誰かの何かしらの文脈の中で発見された宝であって、その文脈を探り当てない限り活かすことはできない。

焙煎中に全閉にしてはいけない理由は何だろうか。ダンパの存在理由は一体何なのか。蓄熱とは何なのか。投入温度とは一体何のことなんだろうか。投入温度が高いと表面が火傷をしてしまうのは本当だろうか。蒸らしや水抜きは何のためにあるのだろうか。メイラードに時間をかけると甘さが出るのだろうか。化学反応には時間が必要なんだろうか。ハゼたら火力を抑えるのはどうしてだろうか。DTRは20%がいいのか。RORは逓減させるべきなんだろうか。…

挙げればきりがないほどたくさんの疑問が毎日毎日毎日毎日、溢れてくる。季節は流れ時々刻々と状況が変化する中での検証は困難で、回答できるようになったものはほんの僅かだ。今、ケニアを焼いているのだけども、投入温度240℃、ガス圧1.4kpa、投入量32%で、全閉で投入しハゼたら全開、煎り止め224℃、焙煎時間5分。浅煎り、滑らかで、キレイ(…全然まだまだだけど…)、酸味は穏やかで、何より甘い。条件だけ見ればとんでもないし、これで浅煎りになるのかよって思うかもだけど、ここまできてやっと、表現したいコーヒーに近づいている手ごたえを感じてる。一体何が正しいのか。やってみなきゃわかんないことだらけだ。