「余白の音」に耳を澄ませて。

珈琲とからだ、ときどき言葉

真似することの大切さ

Instagramで見つけた画像を真似して描いてみましたが、一発目はこんな感じですw


誰かの真似をすることで、観察力の分解能が上がる気がする。

29歳のとき、人生で初めて飲食店で働いた。トレーニングのときメニューの写真と見比べながら作ったはずなのに、出来上がってみればなんだか違うように見えた。でもどこが違うのかわからなかったから、写真に撮って間違い探しをしたら全然違かった。一体何を見ていたんだと自分でもびっくりするくらいに。でも一度その違いに気づくことができたから、もう次は間違えないし、間違えても気づくことができるようになった。

このとき、見ている深さが変わったかのように、それまでとは違うように見ることができた。

自分がどのようにもの見ているのかを知りたいなら、描いてみればいい。見たままに描いてみればいい。そして見比べてみればいい。ちゃんと見たままに描けたのか。見たままに描いたつもりなのにできていない部分に気づいたなら、そこを消してまた描いてみる。その繰り返しが、観察力を鍛えるのだと思う。簡単な言葉で言えば、しっかり見る力を鍛えられるのだと思う。何が違うのか、どこが違うのか、どうしたら同じに見えるのか。水玉なんかを描いたらよくわかると思う。自分が描いた水玉は水玉には見えないから。それがだんだんと水玉に見えてくる過程が面白い。

んで、これって目だけじゃないと思う。耳も舌も鼻も同じだと思うんだ。音楽も料理も珈琲も。何かを再現することが、観察力を鍛え、繰り返すことで結果的に再現できるようになってくるんだと思う。脳の右側で描けがそうであったように。

さらに、ビジネスもそうなんじゃないかなって思う。成功している人のやり方をとことん真似しろって聞いたことがあるけど、それも同じことなんだなって思う。それはもしかしたら物語を書くことや詩を書くことも同じなんじゃないだろうか。


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上の玉ねぎとトマトですが、迷いながらどうしていいのかわからないままに描いてます。でも色合いや濃淡の付き方とか俯瞰したときに愛らしく可愛いって思います。DIYでもそうなんですけど、それらしく作るってのは、とても面白いです。どうしたらそれらしく見えるのか。「それらしく」ってのはいったい何なのか。自分はいったいなにをもって「それらしい」と感じているのか。そういった自問自答の繰り返しで、目を深めながら自分を知っていく過程のようで。傍からどうみえるかはあまり気にならず、自分の中で「あ、かわい」って思えるだけで胸いっぱいというか。